お金を支払って、業者に仕事を依頼したのに、雑な仕事をされたので、ものすごく腹が立って担当者に電話で強く言ってしまいました。で、一日中気持ちがもやもやしてずっとそのことが頭から離れませんでした。

こういう時に、どのように対応したらいいのか、どのように対応するのが正解なのか悩むことがあります。今までなら感情に任せて言葉にしてしまっていたのですが、それではよくないのではと最近思うようになりました。世の中で成功した人たちはこのような状況を逆にチャンスやラッキーと考え、自分とは違うアプローチをしたに違いありません。

怒りや人を責めることについては、先人たちが教訓を残してくれています。徳川遺訓には「己を責めて、人をせむるな」と書かれています。お釈迦さまは、怒りは捨てよと言っています。怒りや人を責めることというのは、なくしていった方が人生がうまくいくのではないかと思いました。

最近、青汁王子の三崎優太さんが紹介していた「強運の法則」(西田文郎)という本の中にいつかあの人に近づきたい、あんな人物になりたいという理想の人物を設定するという項目がありました。

色々と考えた末に、自分は「淀屋常安」を理想の人物に設定しました。この理想の人物を設定したことによって、淀屋常安が同じ状況に立たされた時にどんな行動をするのかを考えるようになりました。淀屋常安なら、このような時にどのように考えるか?常安なら逆にこの状況を、逆手にとって自分に利益となる方法をとるに違いないと思いました。で、どうしたらいいか?

今回のような件で、担当者に文句やクレームを言った場合を、自分がミスしたと想定し、逆に自分が文句やクレームを言われたとします。その時にどんな気持ちになるかを考える。そう考えると、文句やクレームを言われると気分が悪くなりやる気もなくなります。気分が落ちてしまいます。腹がたってしまうことさえあります。

逆に、自分がミスをしたのにそれを責められなかった場合や許してもらえた場合のことを考えると、嫌な気分にはなりません。逆に、素直に同じことを繰り返さないようにしっかりと仕事をしようと思います。この人の為にしっかりと働こうと思う気もします。

こう考えると、腹が立ってしまった時に、腹が立ったままの態度を相手に出してしまうと、損でしかないように思えます。自分の怒りの態度がまた、別の怒りを生むことになる。怒りは自分のところで断ち切る。文句を言ったからといって状況が好転するわけでもない。なら、相手の気持ちを悪くしないような態度を取ろうと思いました。

そんなことを考えていた矢先、電話で強くいってしまったのが土曜で、日曜はお休みなのですが日曜に土曜の雑な仕事なんてどうでもいいと思えるくらいの大トラブルが発生しました。この件が発覚した時、本当にブチ切れそうになりました。頭の中で、ふざけるなとか、終わったとかそんな言葉がぐるぐる駆け巡っていました。業者の方に来てもらわなければ処理できないほどの大ごとだった為、お休みのところしぶしぶ連絡し、対応してもらうまでの間、自分がその対応をしながら考えました。この時も常安なら、どのように考えるか?

まず、この怒りをそのまま、担当者にぶつけてはだめだと思いました。なので、土曜の件も、日曜に起きたこともとりあえずは怒らずに対応しようと思いました。まず、どうやって怒りを鎮めたかですが、考え方で怒りというものはどうとでもなるのだということがわかりました。ミスやトラブルはありましたが、業者の方が自分の為に仕事をしてくれているのはわかっています。トラブルは発生しましたが、日曜でも駆けつけて対応してくれたのには本当に感謝しています。そう考えるとイライラもかなり静まりました。

これらの件について、この後怒りをぶつけたり、クレームを言うことはしませんでした。日曜なのに対応してくれてありがとうございましたと伝えると、業者の方もすみませんでしたと言ってきてくれました。業者の方と今後どのように仕事を進めていくか冷静に話し合い、最低限の修正をお願いすることにしました。

相手を許すということにより、心にはもやもやはありませんでした。すっきりとした気持ちで、自分の作業に取り組むことができました。怒って、怒りを相手にぶつけた後とはえらい違いです。その後の気分的にも怒りは自分の中で鎮めるのが一番だということも学べました。

今回の件は、自分にこの怒りや人を責めることについて、ちゃんと学べる出来事だったのだと思います。自分に起きた悪いことやイライラするようなことは、自分が学ぶチャンスなのだということを知らされました。今後、また嫌なことが起きた時には、この出来事は自分に何を伝えてくれているのだろうかということを考えていこうと思います。

知恵は万代の宝。