大河ドラマどうする家康、戦国時代なのに視聴率がいま一つのびていないようですね。昨日放送の「第37回、さらば三河家臣団」は自分的には面白かったのですが。

「第37回、さらば三河家臣団」は、小田原合戦の後、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げる部分が描かれています。で、秀吉が家康の三河をはじめとする五カ国の領国を取り上げ、関東に国替えさせるところでもあります。

普通に考えたら、今まで収めていた領土を替えられるなんて、かなり腹立たしいことだし、嫌なことだったでしょう。でも、受け入れた。その時は、受け入れざるを得なかったのだとも思いますが。

大河ドラマでは、秀吉が、家康は江戸と決めていましたが、実際は、関東の方へ行くのなら家康は、江戸じゃなくて、小田原でも、鎌倉でも良かったのだとか。でも家康は江戸を選んだ。

人間万事塞翁が馬

悪いことが起こった時には、それが、幸運になる可能性があるということ。幸運なことが、起こった時には、それが、不幸になる可能性があるということ。家康は、このことを本当に理解していた人なんだと思いました。

家康も国替えがなければ江戸という土地が、将来発展する可能性のある土地だということを考えることもなかったのかもしれません。ですが、国替えが行われた際に、かなり考えたと思います。与えられた土地で、発展させるのに一番都合のいい場所はどこかと。

重機もない時代に、海を埋め立ててそこに街を作ろうなんて、どういう考え方をしたら、そんなことがひらめくのか知りたいものです。逆に、現在何もないからこそ、自由に街を作れると考えたのかな。

今でこそ、グーグルマップで簡単に世界中の地形を見ることが出来ますが、1600年くらいに手に入った情報でここまでの決断ができたことはおどろきです。日本中探してもここまで平地が多いのは関東だけなんですよね。そこまでわかっていたのでしょうか。

あと、利根川って今は、銚子の方に流れていますが、家康が国替えをされたときは、東京湾に流れ込んでいたって知っていました?どうやって工事したのか本当に不思議でなりません。

家康の偉業を知ると、出来ないことなどないのではないかと思えてきます。ちょんまげで、草履履いてた時代にですよ。重機もない時代にこれだけのことができる。この時代から400年経った現在ではもっと色んなことができるようになっているはずです。何事も出来ないとはじめから決めつけるのではなく、できる方法を考えるようにしていかなければいけないのだと思い知らされました。

家康が江戸に目をつけなければ、今の東京はなかったのかもしれません。あと、北条氏がさっさと上洛し、小田原合戦がなく、北条氏が滅亡していなくても東京はなかったのかもしれません。

自分になにか悪いことが起きた時に、それは幸運になる可能性があると考え、しっかりと考え、行動しなければいけないですね。